全訳 東周列国志
Ⓒ2007 Shoukichi Nakahashi
王子午 鼎 春秋中期 有翼神獣 戦国中期
こうして始まる「東周列国志」は、明・清代に、日本の平家物語や源平盛衰記などのようにそれまで講談のような形で語り継がれてきた語り物に、史記や戦国策ほか各種の史書、古典、伝承などを引用 加筆改編改訂を行ない、春秋戦国時代の英雄たちの活躍を活写したもので、中国では人気のある古典歴史小説の一つです。
この部屋はその「東周列国志」の翻訳閲覧室で、日本語全訳としては本邦初翻訳です。 春秋戦国時代に初めて訪ねて来られた読者にも、容易に理解頂けるように、できるだけ多く注記を付し、参照し易いようにそのページの欄外に表記しております。 なお、東周列国志の概要を下方に記述いたしておりますので先ずはこれをご覧ください。
物語は108回の長編ですから、本文は4巻に分けてリンクさせています。 項目を選択しクリック願います。 1.目 次 2.第1巻(1回~30回) 3.第2巻(31回~57回) 4.第3巻(58回~81回) 5.第4巻(82回~108回)
なお、全文を読む時間のない方のために、有名な話を幾つか簡抜してみました。 これらも参考の上2500年の昔にタイムスリップして、春秋戦国時代の旅にお出かけください。 幽王寵姫褒娰に溺れ国を亡ぼす(西周滅亡)・・・・・ 2~3回 管鮑(管仲・鮑叔)の交わり ・・・・・ 16回 伍子胥楚平王の屍に鞭打つ ・・・・・ 71~77回 呉越抗争 ・・・・・ 79~83回 蘇秦・張儀の合縦・連衡 ・・・・・ 90~91回 樂毅の活躍 ・・・・・ 95回 荊軻秦王暗殺計画(始皇帝暗殺未遂) ・・・・・ 106~107回 他にも、孔子、軍師孫武・孫臏、晋重耳(後の文公)の流浪、楽毅の活躍、悲運の商鞅・呉起・韓非、仇討話(刺客列伝)等枚挙に暇がありません。 目次には各回の概要を略記していますのでご希望の物語の検索にもご利用ください。
「東周列国志」 は、周王朝が衰微し始めてから秦が統一するまでの約五百年間が舞台である。周王朝第十二代の天子幽王(ゆうおう)が犬戎(けんじゅう)に攻め殺され、幽王の子平王は難を避けてそれまでの都鎬京(こうけい現西安付近)から約四百㎞東の洛邑(らくゆう 後の洛陽らくよう)に遷都した。後の史家は、建国から洛陽らくよう遷都までの周朝(約三百年)を西周と呼び、東遷後の周朝を東周と呼ぶ。
西周の滅亡(紀元前七七一年)から、秦始皇帝による中国統一(同二二一年)までの五百五十年を春秋戦国時代といい、「東周列国志」はこの時代を動かした人々の虚虚実実の生き様を歴史の流れに沿って展開した一大歴史ロマンである。
周朝も建国して二百年ほどで厲王という暴虐無道の天子が現れ王室は急速に衰微の坂を下る。どの政権でも凋落(ちょうらく)期に入るとその流れは容易には止まらない。幽王が殺されて遷都するという事件を境に、周天子は実質的には諸侯の盟主の座から、一諸侯に転落したといえる。もはや諸侯の朝見は行われなくなり天子の号令は諸侯に届かなくなった。周朝の諸侯支配力が低下し相対的に諸侯の力が増大し群雄割拠の様相を呈する。綱紀は乱れ弑逆(しぎゃく 主君を殺す)事件が頻発し次第に下克上の様相を呈してくる。わが国の応仁の乱後の足利政権(室町幕府)末期と似ているが、時代はそれより二千年遡り、期間は五倍にわたる。
春秋戦国時代は、春秋五覇や戦国七雄といった大国が中心となって歴史が動く。しかしその大国も君主の国家経営力によって瞬時に強盛と衰微が逆転するし、また、大国同士、多数の小国同士、大国と小国、互いに離合集散を繰返し各国の思惑がからみストーリーが非常に複雑になる。その上、君主の名は同名が多く注意しないと関係を見失って混乱する事もあり、無類の面白さを秘めた小説であるが、取っ付きにくいというのも否めない事実である。
この時代は油断していると突如他国からの侵略を受けるという危険に常にさらされていた。逆に大義名分をみつけ、チャンスがあれば積極的に攻撃をしかけ地盤拡張を図ろうと、誰もが虎視眈々と狙っていたのである。いつの時代でも戦争は、その国が持っている人、物、金と知力の総力を挙げて行われるもので、失敗は即ち国の滅亡に結びつく。人間関係や行動心理は二千五百年を隔てても基本は変わらず、それ故この時代の国家経営の手法、戦いの進め方並びに考え方の多くは、現代の存亡をかけた熾烈な企業戦争にも通用するものがあり、百家争鳴と言われたこの時代の著名な思想家、兵法家の著作の解説書が書店の棚を賑わしている。 春秋時代と戦国時代の違いを簡単に眺めてみよう。
春秋時代は他国討伐には大義名分が必要であった。戦いは予め合戦の日を取り決めて布陣をし、布陣ができてから開戦した。相手を徹底的に滅ぼしてしまう事はせず、罪を質し、講和の申し出を許し盟約して同盟国として国体の維持を認めることが多かった。諸侯に共通する最大の目標は、斉桓公や晋文公等の如く諸侯を会盟し盟主となりいわゆる覇を称えることにあった。この時代はまだ諸侯の意識の中に、力は衰えたとはいえ周天子の『錦の御旗』を尊崇し、或いは利用した方が有利という考えが強かった。
戦国時代になると、戦いは強者が弱者を凌辱しその土地を侵略し、挙げた首は数万とも言われ、戦いの期間も長期にわたった。各国は郡県制の導入等統治技術が発達し、滅ぼした国には講和を認めず、併呑して直接支配する事が多くなった。その結果春秋時代には二百程あった諸侯国は秦、楚、趙、魏、韓、斉、燕の七雄に絞られ、七国の君主は周王朝を無視して王を名乗るようになった。更に七雄は秦の一強とその他の六弱という態勢に変わり、先ず蘇秦そしんが六弱を連合して一強にあたる合がっ縦しょう方式で秦を潰そうとした。これに対し一強の秦は張儀ちょうぎの意見に従い、六弱の個々と個別同盟を結ぶ連衡れんこう方式で六国間の疑心暗鬼を誘って合縦を崩し、六弱を個々に潰し、終に天下を統一したのである。
「東周列国志」の中には明確な一つの歴史観がある。物語の最後に『総観千古興亡局、尽在朝中用佞賢』とあり、即ち政治の場では、賢臣を用い佞臣を排する事、これが国家存亡の鍵であると結論付けている。
諸葛孔明も、北伐(魏討伐)に出る時「出師の表」で、『賢臣に親しみ小人を遠ざくる此れ先漢の興隆せし所以也。小人に親しみ賢臣を遠ざくる此れ後漢の傾頽せし所以也』と後主劉禅(りゅうぜん)を諭している。 阿諛迎合は耳に心地よく諫言は耳に痛い。上に立つ者は情報の出所、精度の判別力とその冷静な実行力が重要だと言っているのである。
二、「東周列国志」の成立東周列国の物語は、平家物語等の日本の戦記物にもみられるように、当初は語り物形式であったようである。明代中期になって余卲魚(よしょうぎょ)が当時の「武王伐紂書」(周武王、殷紂王(ちゅうおう)を討伐)、「秦并六国」 (秦六国併合)などの講談本をベースに史記、春秋左氏伝等の史書や戦国策、民間伝説等を織り込み、殷紂王即位から秦の統一までの長編演義「列国志伝」を著わした。これが列国志小説の最初のようである。その後明代末期に馮夢龍(ひょうむりゅう)がこれに更に広く史書、古典を参考にして加筆改編を行ない東遷から秦統一までの小説「新列国志」に仕上げた。清代中期、蔡元放(さいげんほう)がこれをさらに改訂し書名を「東周列国志」とした。これが現在の「東周列国志」である。
「東周列国志」は史書ではなくあくまでも歴史小説であり、それ故、史書である史記のように諸侯国の世家(せいか)や、主要人物の列伝という辞典風の記述ではなく、歴史の流れの中で、人物の活動を中心に躍動的に語られており、中にはとても史実とは思われない巷間伝説的な物語も織り混ぜられていて、そういう面でまたストーリーの面白さが楽しめる。
三、翻訳について
中国の古典小説といえば「三国志」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」が「四大奇書」として最も著名ですが、「東周列国志」 も中国ではかなり人気の高い歴史小説の一つだと中国の知人の何人かから聞かされました。事実、長編ですが読み出すと、物語の展開が速く、かといって上滑りの話ではなく、各回の物語は感銘を受ける濃い内容が多く興味は尽きません。しかしながら、日本ではなぜか全訳されたものが刊行されていません。そこで、非才を顧みず蛮勇をふるって本邦初の翻訳を試みたわけですが、解釈の誤りも懸念されます。読者の皆様のご意見ご指摘を頂戴できれば幸甚に存じます。
本文中の( )書きおよび脚注は、訳者の注記です。脚注に引用した典拠はできるだけその都度記載していますが、本文( )書き注記の地名ほかの事項については金盾出版社刊「東周列国志」の脚注を多く引用しましたが都度の記載は省いています。
四、この 全訳「東周列国志」を書籍でお読みになりたい方は
国会図書館、香川県立図書館及び高松市立図書館 の蔵書になっていますのでご利用ください。
なお、ご希望がございましたら、自家製本上下巻セットでお分けしております。
A5判 上下巻2冊 ソフトカバー 本文各ページ2段組 上下巻全990ぺージ(まえがき、目次及び年表等付録は含まず)
頒布価格 上下巻 各2,000円 (税・送料込み)但し上下巻セットでご注文の場合に限ります。
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